僕は君が

ときめきの用例採集

見えないからこそ縮められる距離──ロロ『いつだって窓際でぼくたち』

ロロ『いつだって窓際でぼくたち』の感想。初日である3/23に張り切って早稲田まで観に行ってきた。3/31まで公演予定なので一人でも多くに観てもらいたい。

『いつだって窓際でぼくたち』は「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」、通称“いつ高”シリーズの第5弾。昨年上演された第4弾『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』で初めて“いつ高”に触れて、第5弾をずっと楽しみにしていた。ちなみに、これまでの舞台の戯曲はいつ高WEBですべてまるっと公開中。西村ツチカさんによる挿絵もついていてべらぼうに可愛い。ただ、私はまだvol.1~3の戯曲を読んでいない。再演を期待していて、戯曲より先に生の舞台でいつ高の世界に浸りたいなぁと思っているから。実際、いつ高シリーズまとめ上演なるものが昨年行われていて、予定が入っていて観に行けなかったことを今でも悔やんでいる。ああ、まとめ上演がいつかまたありますように。いつ高WEBはこちら。

lolowebsite.sub.jp


劇場は早稲田小劇場どらま館。開演30分前より整理番号順に呼ばれて、フライヤーが置かれている席に自由に座っていく形式。開場に合わせて来ている人は少なめだったので、整理番号が遅めの私でも最前列に着席できた。こじんまりとした劇場なので男性は少々窮屈かも。でも、こうしてみんなで密集して腰掛けるのは学生時代を思い出すし、それがまたいつ高の雰囲気に合っていて心がくすぐられる。

いつ高シリーズは、全国高等学校演劇コンクールの出場ルールを遵守した上での上演となっている。つまり、舞台美術の仕込みは10分以内、上演時間は60分以内などの制限あり。そういうルールが説明された後、舞台上にキャストが現れて声を掛け合いつつ公演準備を自ら行なっていく。その時点で彼らはまだ、いつ高シリーズ登場人物の将門やシューマイじゃない。それでもこの準備の様子が愉快で、「1分経過しました」というスタッフさんのアナウンスに対して、「1分いただきましたー!」と高らかに返す板橋駿谷さんがまず笑いを掻っ攫っていった。いつ高シリーズの愛されキャラ・シューマイを演じる新名基浩さんは両手で運んだ机を壁際に置いた際に小さく「壁ドン」と呟いていて、私はここで噴き出してしまった。ささやかに面白いことを言っているのがシューマイっぽい。いや、「壁ドン」と口にしたのは実在の新名さんなのだけれど。

 

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『いつだって窓際でぼくたち』のストーリーと登場人物紹介はこちら。

放課後。2年6組の教室では、男子たちが窓のむこうで打ち上がる花火を待っている。この教室からだと、花火は先っちょの火の粉くらいしかみ えないらしい。

彼らはそれがみたかった。中途半端な花火がみたかった。綺麗な花火なんてみたくないし、ロマンチックはお呼びでない。男子たちは余り物の火花をみつめて、そこから花火の全体を想像するために、放課後の教室に残ってる。

陽はいつまでも暮れなずんでる。

 

vol.5「いつだって窓際でぼくたち」

 

 将門 −まさかど−
(亀島一徳/ロロ)
 2年6組。誰とでも分けへだてなく話すので結構人気者。
 人目もはばからない男。朝の幼馴染。


シューマイ
(新名基浩)
 2年6組。自分を低く見積もりがち。
 将門ともっと仲良くなりたいとおもってるけどおもってるだけ。


群青 −ぐんじょう−
(板橋駿谷/ロロ)
 2年6組。授業中いつも寝たフリをしている。
1000の噂を持つ男という噂がある。


モツ −もつ−
(重岡漠/青年団
 2年4組。シューマイの親友。最近、シューマイと仲のいい将門への嫉妬がはんぱない。

 

これまでの登場人物

 

キャストは4名で全員男性。女性キャスト3名だけだった前作『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』のいつ高しか知らないので、男子高校生たちの掛け合いは新鮮。女子校育ちなのでただの想像に過ぎないけれど、この距離感は男子独特だろうなぁと。女三人寄れば姦しいと表現されるだけあって、vol.4では仲良し女子高生3人の話題はあちらこちらへ飛び、その自由さが私には懐かしくてたまらなかった。一変して、Vol.5の今作に登場する男子高校生4人はこれまでほぼ会話したことのない組み合わせ。あ、シューマイとモツの二人は大の仲良しで微笑ましい。

学校内にはさまざまなグループがある。そんな違う世界同士が絡み合う瞬間の気まずさと高揚感が見事に描かれていて、ラストのシューマイとモツの練習には愛おしさがはち切れそう。おはようと繰り返す彼らの練習が生かされた「明日」が見たいよ。違うグループ同士の邂逅とはいえ、「カースト」という言葉はまったく頭に浮かばなかった。「カースト」じゃなく「ジャンル」や「グループ」といった横並び的な関係をイメージできたのは、亀島一徳さん演じる将門のキャラクターによるところが大きい。もう、将門がいいヤツなんだ!将門は誰とでも分け隔てなく話すことができるフラットなキャラクターで、それでいて無遠慮に踏み込むようなことはしない。シューマイとの思い出を語るモツに対して、いいね!面白そう!と興味を示す将門。モツは思わず、「僕と新名くんにとって面白いことなんだ」と言い返す。面白いと思う事柄の共有によって二人の距離が縮まるはずが、モツの独占欲によりかえって遠のいたこの一瞬。でも将門はモツの気持ちを酌んで「そうだな」とだけ笑顔で返す。このやり取りが最高にハートに突き刺さって、将門いいヤツだな~~~!と身体中の空気が感嘆のため息となって零れ落ちそうなほどだった。こうしてスペックだけ書き連ねると、如才ない社交性ゆえにファンタジーになりかねない将門だけど、亀島さんのものすごく男子っぽい笑い声や感情を持て余した視線がリアルで、ただただ、存在の尊さが増した。ちなみに、将門のシャツの着崩し方が、あああああと胸を掻き毟りたくなるぐらいに好き。ああいう男子高校生っているよね。

いつ高シリーズを貫くテーマは「まなざし」だと明言されている。今作『いつだって窓際でぼくたち』では”見えないもの”もフォーカスされていて、似ても似つかないグラビアの肌の一部から吉岡里帆の姿を形作ったり、ほんの少ししか見えない花火の先端からそれを眺めている人たちにまで思いを馳せたりする。また、”見えない”シチュエーションが何度も手を変え品を変え作為的に設定される。アイマスクで目隠しをしたり、教室の明かりを消したり。そうして、見えないからこそ躊躇いなく縮められる距離もあるんだと、やさしく教えてもらえる。見えないことを嘆くわけではなく、その事実を受け入れた上で別のものを求める男子高校生たちの姿勢にじんわり胸が温かくなった。この辺りのくだりがくだらないからこそ面白おかしい。取り留めのない話で盛り上がっているこの一瞬を、本人たちが煌きとして「まなざし」を向けるのは大人になってからだろうな。
観客の大多数を占める20代以降が一種のノスタルジー的感覚(「エモい」)でいつ高シリーズに触れているだろう一方で、中高生の観客にとっては応援として大人から捧げられたものになり得そうなのも今作の魅力。一番仲良しだったはずの友達が別の子と親しくなってもやもやしたり、普段話したことのない同級生との会話に戸惑ったり、友達と同じ子を好きになったり、学校生活は悩みで溢れている。そうした真剣な悩みを、すでに通り過ごした大人が「青春」の一言で片付けるのは乱暴でさえある。大人にそのつもりがなくても、だ。いつ高シリーズはその辺りの匙加減がほどよくて、現在進行形で学生である少年少女たちにそっと寄り添っている。あなたがいま抱えている悩みはちっぽけでくだらないものだよ、取るに足りないことだと思えるようになるよと励まされるよりも、同じ悩みを抱えた登場人物たちが目の前で笑ったり戸惑ったりする姿を観る方が救われることもある。教室が世界の全てだった”あの頃” を丁寧に掬い上げて、ほんの少しの希望をスパイスとして加えてくれた世界。

そういえば、ロロの特徴でもある、古今東西ポップカルチャーのサンプリング。いつ高シリーズではそれが特に顕著だという印象があって、まるでビンゴみたい。いつ高舞台に登場する固有名詞がどれだけ観客の記憶の琴線に触れるか。今作で言えば、小沢健二水曜日のダウンタウン、ゴッドタン、涙サプライズ、辺りかな。不勉強で小沢健二を履修していないので、一番重要なところでハートを宙に投げられたような心地は正直ある。ただ、こればっかりは運ですよね。その代わりに涙サプライズで私は心底沸けたし。モツ最高!

本当にあっという間の60分。準備の時間を含めてもおよそ70分。いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校を外側から眺めて、愛おしい気持ちで心の中を満タンにして帰れること間違いなし。

 

 

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