僕は君が

ときめきの用例採集

柿喰う客『俺を縛れ!』

『俺を縛れ!』の1/25ソワレ公演を観てきたので感想。ネタバレあり。

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去年の柿喰う客フェスティバル以来の柿喰う客。観に行った1/25は開幕三が日イベントの真っ只中で、日替わり巫女によるおみくじ販売と袈裟斬りお見送りがあった。淺場万矢さんが巫女姿でおみくじ箱持たれていて眼福。劇中のマクベス夫人のようなおどろおどろしさは当然なく、終始キュートな笑顔だった。袈裟斬りお見送りはかなりゆるくて、劇場出口付近で劇団員3名がオモチャの刀を「えーーーい」「たぁ~~~」と振り回してる感じ。私は牧田哲也さんのそばを通ったので、すごく面白かったです!とだけ何とか伝えた。アフタートークも毎公演必ずあるみたいだし、柿喰う客は劇団と観客の距離が近くて驚く。
場所は本多劇場本多劇場では初めての、中通路より後ろのE列以降ブロック。今までB~D列の座席が続いていて、舞台との距離は近いけれど若干首が痛いかも……?と感じていたからラッキー。E列以降は段差がついているから、かえって全体を見やすかったかも。

 

黒歴史的娯楽大作が10年の時を超え堂々復活!
荒唐無稽!笑止千万!茶番チャンバラ時代劇、ここに解禁!

幕府の大御所・徳川吉宗
大往生を遂げたことをきっかけに
悪名高き将軍・徳川家重
奇妙な難題を諸大名に突きつける!
横暴な幕府にも、心を削り身を削り
一途な忠義を貫き通すのは
「三度の飯より主君が命」を信条とする
弱小田舎大名・瀬戸際切羽詰丸!
その過激な滅私奉公は、やがて
天下を揺るがす大騒動に発展する!?

 

柿喰う客

 

二時間まるまる面白かった!二時間フルスロットルで途中ではまったくゴールも読めず、そうして最後には、そういう終わり方か!!!と半ば放心状態。上記のあらすじからこんなストーリーと結末を誰が想像できるんだ。ラストに見せた永島敬三さんの、全てを削ぎ落としたような表情にぞくぞくした。
柿喰う客ではお馴染みの1.5倍速早口長回しのセリフの乱射、乱射、乱射。セリフの語彙と言い回しが本当に好き。声に出して言いたい日本語が多すぎる。「それがさっぱりアイドンノー(I don't know)」「これは天下の一大事」「ここは武家の甲子園、さながらお前は花巻東」が特にお気に入り。柿喰う客フェスティバルで観た『八百長デスマッチ』にもあった「これは天下の一大事」は語呂がよすぎる。さらりと使いたい。ただ、早口長回しという特徴のためキャスト陣の滑舌の差が恐ろしいまでに際立つなぁと。ストーリーテラーである七味まゆ味さんが素晴らしすぎるので余計に。七味さんはもう、存在感自体が桁違い。一言声を発するだけで場を掌握していて、ああ好き……とときめきまくり。緩急が自由自在の田中穂先さんもすごくすごくよかった。

本筋のストーリーは悲劇のはずなのに、その辺りについて真面目に考える余裕を終盤まで与えない。怒涛の笑い。「キャラお定めの令」によるキャラ(「ドスケベ」「ラーメン」「モノマネ」「メガネ」など)を演じるための無茶振りアドリブ合戦は、モノマネ大名の被害が甚大すぎて大笑いした。炊き立てのごはんのモノマネってどういうことだ。モノマネ大名・加藤ひろたかさん追い込まれすぎでは???マクドナルドのロゴ、のモノマネが一番好きでした。ロゴのモノマネとは。柿喰う客はモノマネでさえも攻め込んでる。
忠臣蔵』『マクベス』(というかシェイクスピア全般)をストーリーに組み込みつつ、『進撃の巨人』や『HUNTER×HUNTER』を彷彿させる小ネタも。宮下雄也さん演じるざくろ姫の心臓を抜き取ってからのぶっしゃあ~~~技には死ぬほど笑った。ぶっしゃあ~~~感が強すぎた。あれ、ハンターのキルアのネタだと思うんだけど違うかな。そうして、もはやお約束のように思えてきた『髑髏城の七人』ネタ!『八百長デスマッチ』でも触れていたけれど今回もガッツリ。ざっくりまとめるとこんな感じ。
平田さん「百人斬りしたい」
田中さん「いいよいいよ!」
平田さん、雑な百人斬りをする
平田さん「……これ、百人斬りじゃなくね?そっち、刀持ってねえし!」
田中さん「一人ひとりに刀持たせたら予算の足出るだろ!」
平田さん「ちゃんとした百人斬りがしたい!」
田中さん「ちゃんとしたのがやりたいならちゃんとした劇団に行ってください」
平田さん「え、ちゃんとした劇団じゃないの!?」


『俺を縛れ!』全編を貫いていたシェイクスピアのオマージュ。愛。去年から柿喰う客を観始めてまだ日が浅くて知らないけれど、中屋敷さんはシェイクスピアがお好きなのかな。『リア王』ばかり読んできた私でも気がつくほど、ふんだんにシェイクスピアのエッセンスがそこかしこに散りばめられていた。ギリシャ悲劇の方が好みだからシェイクスピアの四代悲劇に詳しくないけど、『リア王』だけはずっとすき。
人は誰しも「自分」という役を演じていて、しかもその役割は一つじゃない。時や場所、状況に応じて、性別・身分・職業などに合わせた役割を演じている。正確に言えば、演じさせられている。世界を舞台になぞらえて人間を役者に例える、これはシェイクスピア劇でよく見かける考え方、のはず。作品から少し引用するならこんな感じ。ちなみに岩波文庫

つまり舞台だ、人はだれでも一役演じなければならぬ。

ヴェニスの商人

この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずこれ役者にすぎぬ。

『お気に召すまま』

人生はただ影法師の歩みだ。哀れな役者が短い待ち時間を舞台の上で派手に動いて声張り上げて、あとは誰ひとり知るものもない。

マクベス


『俺を縛れ!』ではまず、瀬戸際切羽詰丸たちの本来(便宜上こう書く)の世界がある。「キャラお定めの令」が発令される以前。Before キャラお定めの令。でもその頃からすでに、役割という装置は見え隠れしている。瀬戸際切羽詰丸の奥方は「武士の妻とはこんなものだ」という(暗黙の)ルールによって切羽詰丸を第一とした生き方を信条としているし、切羽詰丸の娘・ざくろ姫も「武士の娘とはこんなものだ」という切羽詰丸の考えにより瀬戸際家の財政を助けるために(当初は)望んでいなかった結婚をさせられる。江戸城でも、「将軍」という肩書きのみが必要とされているのだと、「個人」を蔑ろにされている現状に触れたセリフがある。次に発令後。After キャラお定めの令。本来の世界に「キャラ」という追加ルールが加えられて、それに縛られるがゆえに混乱が巻き起こる。この辺りがストーリーの大部分を占める。最終的に「キャラ」というルールは撤廃されるが、それはルールの一つにしか過ぎず、縛りがないことは幸福なのか不幸なのかも問いかけられる。縛られないことイコール幸福、という二元論的な結末を迎えないのが柿喰う客らしい。「キャラお定めの令」というルール(縛り)を観客のこちら側も一時的に楽しんでいたので、半ば共犯者のような心持ちにもなってくる。そうして終盤の、公演後のようなゆる~い雰囲気でのフリートークじみたパート。今回のイメージビジュアルの伏線回収のために、俺を縛れ!と言い始める半裸の永島さん。「敬三さん」と呼びかけられていたことからも、「瀬戸際切羽詰丸」ではなく「永島敬三」として存在していたはず。それなのに、キャスト全員がいなくなった後、その永島さんが朗々とセリフを言って、全ての感情を削ぎ落としたような表情で舞台からはけていく。えええええ。余韻、半端ない……。すごいすごいすごい、と胸の中で何度も言った。よいものを目撃できた、という感情だけはたしかなもの。

ルールが一つ消えたからといって、本来の自分になるわけじゃない。そもそも本来の自分とは。複数の枷。多種のしがらみ。幾多もの縛り。そうしたもので出来上がっているのが私たちで、誰も、本当にさらけだせる自分なんて無いんじゃないか。ああ、シェイクスピアに詳しければもっと意図を読み取れたかもしれない!それにしても、最後にはこうしてあれこれ考えさせられるのに、二時間ずっと面白いってとてつもない。エンタメだ。


柿喰う客ではシェイクスピア劇を女性だけで演じる「女体シェイクスピア」シリーズなるものがあるらしいので、過去公演も観てみたい。『リア王』観たい。

 

 

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