僕は君が

ときめきの用例採集

『アマデウス』

アマデウス』ネタバレあり感想。

天才と凡人の葛藤が好きだーーー!そういうのが好きなら『アマデウス』を観てみるべきなのでは?と周囲に言われつつも手を出していなかったところへ、タイミングよく幸四郎丈の舞台情報。松竹でチケットを購入。ただ、舞台と映画は結構ベクトルが違うという話も聞いたので、結局そのうち映画も観るかも。

場所はサンシャイン劇場松本幸四郎丈をサンシャイン劇場で観るのが不思議な気分。私の中では幸四郎丈は歌舞伎の印象の方が強い。高麗屋!ちなみに、市川染五郎丈は歌舞伎よりもその他の舞台での方が、はぁ~~~カッコイイ~~~!と何故か夢中になることが多い。新感線とのコラボ、新感染舞台はどれも最高。新感線といえば、今週土曜から1週間ほど、お台場映画館でゲキ×シネ『蛮幽鬼』が上映されるのでぜひ!モチーフは『モンテ・クリスト伯』!長髪の堺雅人さんの役どころに当時悶え狂った思い出。堺雅人さんいいよね、と一度でも思ったことがある方は『蛮幽鬼』を絶対に楽しめるはず。
アマデウス』の客層はなかなかにカオスで、98%ぐらいは女性、あとの2%はスーツ姿の男性。ジャニーズ出演なので男女比は別にカオスではないのだけど、その男性陣が松竹関係者感に溢れていた。絶対にお偉方の関係者では……と思わせる雰囲気で、さすが幸四郎丈の舞台だなと。ちょうど公演450回を迎えたタイミングだったのもあるんだろうけど。

 

音楽史上、永遠の謎とされるモーツァルトの死─。
その死から32年が経過した1823年晩秋のウィーン。宮廷楽長のサリエーリは、自らがモーツァルトを暗殺したと衝撃的な告白を始める……。 時代は遡り、1781年。皇帝の寵愛を受け、音楽家としてこれ以上ない地位と名声を得ていたサリエーリは、ウィーンにやってきた若きモーツァルトと出会う。フィアンセのコンスタンツェと卑猥な言葉を口走り、行儀が悪く、子供っぽい青年モーツァルト。しかし、彼の奏でるセレナーデは素晴らしく、天衣無縫をそのまま具象化したようなその楽譜の中にサリエーリは、“絶対の美”─“神の声”を見出す。
幼い頃、神に一生を捧げると誓ったサリエーリ。ところがその神の仕打ちとは……。 サリエーリは慄然とし、“アマデウス”を通じて神に命がけの戦いを挑むのだった─。

 

公演情報 日程・上映時間:その他の公演-歌舞伎・演劇|松竹株式会社

舞台の感想としては、難しい!難しかった!理解力不足が悔やまれる~~~。凡人が天才を目の当たりにしたがゆえの葛藤はたしかに描かれているけれど、『アマデウス』ではその葛藤だけでは終わらず、神が絡んでくる。何とサリエーリは神へ宣戦布告する。あらすじにもあるように、“アマデウス”(=モーツァルト)を通じて神に命がけの戦いを挑むのだ。モーツァルトに対して戦いを挑むのではなく、モーツァルトを「通じて」神に挑む。モーツァルト本人ではなく才能を与えた神に対して挑戦をするというこの試みへの理解がなかなか難しい。神の存在が絡むことによって、モーツァルトへの嫉妬、という一言では片付けられない、片付けさせてもらえないようになった感がある。おまけに、サリエーリの独白によってストーリーは進行していくので、基本的にはサリエーリ視点でしか物事は語られない。

才能は「gifted」とも言われる通り、神からの贈り物とする考え方がある。モーツァルトの才能を見出し、その素晴らしさを理解できる才能を、サリエーリは与えられた。その音楽を決して自らでは創り出せない代わりに、素晴らしさを理解できるだけの才能はある。この皮肉なこと!そこにものすごく滾った。創れないけれど理解はできるって何それ地獄。ただし、音楽家に限る。舞台序盤のモーツァルトは自分の音楽に自信を見出してはいたけれど、それでも理解者を必要とはしていた。芸術は、その素晴らしさを理解できる鑑賞者なくしては成り立たない。もちろん、鑑賞者がいなくても芸術は存在できるけれど、評価を求めるならば鑑賞者は必要だろう。奇しくも、サリエーリはモーツァルトの芸術の鑑賞者になり得てしまった。ここでさらに皮肉なのは、サリエーリはモーツァルトと出会うまでは、自分の音楽と得た地位に対してかなりの満足を抱いていただろうこと。鷹揚に構えていたはずのサリエーリが、自分より若くて下品なモーツァルトの持つ才能に気づいてからの変貌が凄まじい。
一方のモーツァルト。彼からサリエーリに対しては一度も嫉妬の感情が(露骨には)見えない。音楽はもちろんのこと、金銭的余裕のあるサリエーリへの妬みもさほど感じられなかった。音楽以外のその他の面でも、サリエーリはモーツァルトに価値を見出してもらえないのか。苦しすぎる~~~。ただ、心の支えとしていた父も亡くなり、困窮を極めて憔悴しきったモーツァルトは、サリエーリに口利きなどをさすがに頼み込みもする。モーツァルトがサリエーリに縋るのは多分この辺りが初めて?ほぼ何もかも失ってからようやく、サリエーリの存在に気がついたのかもしれない。サリエーリの完全なる一方通行すぎて、圧倒的無慈悲な天才。

キャスト別感想。
松本幸四郎丈。サリエーリ。開演前、舞台に背を向けた体勢で何かが椅子に座っているなーと思っていたけれど、それがまさかの幸四郎丈とは。人形じゃないの?いきなり話し始めたから、え?ええ!?とリピーター以外は恐らく驚いたはず。ビビった。そうして、年老いたサリエーリの独白で始まる『アマデウス』。この舞台でサリエーリは、モーツァルトに出会った38歳当時と、現在の老人との間を何度も行き来する。声も佇まいも視線の向け方も全く違っていてタイムスリップ感さえある。38歳になった瞬間のサリエーリの声の艶と張りもすごいし、気が狂ったような老人サリエーリのしゃがれた声にも圧倒される。同一人物とは思えない巧みさ。さすがは公演450回を迎えただけあって、幸四郎丈はもはや染み付いているようなセリフ回しだった。

桐山照史さん。モーツァルト。本名は「ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト」。「アマデウス」は「神に愛される者」の意。神に愛される者って何なの、最高なネーミングだな……。ジャニーズWESTの主軸はアイドル活動だと思うけど、桐山さんは舞台のお仕事が向いていそうな方だなと思った。その場その場での瞬発力に惹き込まれた。サリエーリを絶望させるほどの才能を持っていて自信もあるものの、品格は備わっておらず女性と下品な応酬ばかりを繰り返しているモーツァルト。このときの様子もよかったけれど(下品だけど子供のような無邪気さがあって素直に笑える)、その後、困窮を極めて徐々に自信を失くして憔悴していくモーツァルトの演技が最高によかった~~~!桐山さんのモーツァルトは外へ発散するんじゃなく、内へ内へこもっていく雰囲気があった。金銭的に困っていても当り散らしたりはせず、妻のコンスタンツェに今までと同様の他愛ないじゃれ合いを仕掛けるモーツァルトには泣きそうになる。コンスタンツェとのやり取りは常に愛に溢れていて、心から好きで大切にしていたんだと窺える。「キスはどこからくる〜?」のか細いけれど愛に溢れたあの声には胸が詰まった。

天才と凡人についてよりも、神が与える才能とは一体何なのか、その与えられる対象に基準はあるのかなどを考えさせられた『アマデウス』。モーツァルトの才能を理解できてしまったがゆえにサリエーリが陥る苦悩。それだけでは終わらず、モーツァルトを"通して"神への挑戦を試みるというサリエーリの発想の飛躍が私には難しくて、観てから1ヶ月ほど経つけれどまだあれこれ考えてしまう。才能=「gifted」という考え方が根づいていると、モーツァルト本人よりも神への怒りの方が先立つんだろうか。