僕は君が

ときめきの用例採集

『デスノート THE MUSICAL』(ネタバレあり)

デスノート THE MUSICAL』、通称デスミュ二回目を観てきたので、ネタバレだらけ感想を。知識としては原作・アニメ・映画は一通り観ていて、デスミュに触れるのは今回の再演が初。一回目9/14ソワレ公演、二回目9/22ソワレ公演で、両方とも浦井健治さんの夜神月。本当に残念だけど、柿澤さんの夜神月WOWOW放送で拝むしかない。WOWOW放送、何月なのかな。
一度目を観た後のネタバレ控えめ感想はこちら。

seshiki.hatenablog.com

楽曲が好きすぎて書いたナンバー別感想はこちら。

seshiki.hatenablog.com

あらすじは以下の通り。まさかの公式サイト消滅(?)により梅芸に記載されていたものを引用。ホリプロさん、公式サイト撤退速いな!?

「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」

死神リュークが、人間界に落としたデスノートを拾った成績優秀な高校生・夜神月

半信半疑でデスノートを使った彼は、その威力を目の当たりにして恐怖する。
しかし自分が理想とする社会を作るため、強い精神力で恐怖を乗り越え、凶悪犯を粛清しようと決意。

「心の正しき人々のために、すべての悪を裁こう」

デスノートの効果で次々に死んでいく犯罪者たち。
そして月は救世主キラとして、世界の人々から指示を集め始めていた。

だが、この不可解な事件を解決するために、日本警察は世界屈指の名探偵 L に捜査を依頼。
依頼を受けた L は、キラの逮捕を宣言する。

「追いつめてやる。死ぬのはお前だ」

今、二人の壮絶な戦いが始まる・・・・。

 

デスノート THE MUSICAL | 梅田芸術劇場


場所は新国立劇場。二回目観劇時に車で向かったところ、楽屋口と駐車場が地下1Fで同フロアのため行きも帰りも少し緊張した。一般人の自分は地下2Fの駐車場を利用すればよかった。本編終了後にはロビーに長い行列ができていて、あれはキャスト陣の出待ちだったのかな?入り待ち・出待ちもジャンルや舞台によって文化が違うんだなーと横目に見ながら帰っていった。ちなみに、新国立劇場での駐車場割引は600円なり。

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デスミュ全体の感想。原作全12巻(13巻はファンブック)をダイジェストのように凝縮するわけじゃなく、ほぼ第一部の内容からまた別の形の『デスノート』を新たに作り上げた印象。デスノート原作1話では「二人の選ばれし者の壮絶な戦いが始まる」という神視点のようなモノローグがあって、それがすごく印象的で心に刻み込まれている私にとって夜神月とLの推理戦は重要だけど、デスミュでは夜神月という一人の青年が破滅していくストーリーを主に丁寧に描いていた。そのストーリーに、異なる正義同士の攻防や家族・救世主への愛が凄まじい熱量で絡められていて、おまけに魅力的な楽曲が目白押しという圧倒的エンタメ!楽曲がどれもこれも本当によすぎる~~~。ポップスとロックとバラード、全て最高のものを取り揃えました的な。歌詞もこれまた適切かつ的確で、原作そのままの言葉を使っているわけじゃないのにエッセンスの抽出が巧みすぎる。このシーンやこの主張をこの人に歌わせるのかと一度目では意外な部分もあったけれど、それでも実際に観ていると納得しかない。演技と楽曲と熱量に平伏す!
普遍性を持たせるためか、舞台美術は基本的にはどの国での上演にも適したもので、日本独自のアイコンなんてハチ公ぐらい?スマホだけを見つめている群集のデフォルメ化ももはや日本だけじゃなく、デスミュが上演を目指していそうな国々でもよく見る光景だろうし。いつか現代の悲劇として、アジアから離れた場所でデスミュが上演されたらどういう感想が巻き起こるんだろう。ただ、デスミュでは現代悲劇としての面ばかりをクローズアップしているわけじゃなく、よい意味での2.5次元感も織り交ぜていて取っ付きやすい。全てにおいてデスミュは匙加減が絶妙。人間の愚かさをフォーカスしている一方で、レムの存在によって人間の持つ愚直なまでのひたむきさが多少なりとも救われている気がするし。
舞台中央には幕(?)が垂らされていて、それをデスノートとして用いる演出には滾った。幕にはDEATH NOTEと書かれている上にエンボス紙みたいな質感に見えたし、まさにデスノートっぽい!同人誌の知識しかないから、エンボス紙以外に的確な表現が思いつかない。ごわごわした紙。黒い幕の左端にライトを当てることによって冊子のような厚みが感じられるという効果も素敵。創意工夫次第であらゆる世界観が作り出せる舞台って本当に最高~~~!舞台のこういうところが好き!第一幕最後に白い幕が下りてきたかと思えば、そこに「休憩」と書かれていく演出もデスノートらしすぎるし、何から何までこだわりが感じられて丁寧な作りに嬉しくなる!それと、死までの刻限40秒間、秒針の音を響かせるという演出。否応なく進む時計の針に人間が抵抗できる術なんてないことを表現しているのだろうと思っていたけれど、終盤には、夜神月の奏でるシャーペンの音がその秒針に成り代わる。この瞬間、死神さえをも利用する位置に立った月は神の領域を完全に脅かしたのかもしれない。このペンの音の演出は本当にぞくっとした。生で観るのが一番だけど、WOWOW放送を録画して細かな演出を一つ一つ確認していける楽しみがあると思うと冬が待ち遠しい~~~!

キャスト別感想。

浦井健治さん。夜神月
生で観たのは五右衛門ロックシリーズのシャルル王子以来。あの浦井さんしか知らないため(シャルル王子はその後のゲキ×シネトークショーなどでも話題に上がる強烈キャラ)、色々と新鮮だった今回のデスミュ。カーテンコール時に両手を振る姿は五右衛門ロックのときも見た気がする!両手を振るって可愛いな……。端正なお顔なのはこの前のヨシヒコミュージカル回のときに学習済み。高校生役に大して違和感がないってすごい!冒頭の教室のシーン、いつから浦井トが登場しているのかチェックしたいのに、本当にいつの間にか紛れ込んでいて高校生キャストとの同化がごくごく自然。浦井トさんは紛うことなくモテてきた人種。一般男性はあんなに自然に女性の頭を撫でられないと思うんですけど!テニスのときの月は本当に、イケメンだからって女子を侍らせやがって感が強い~~~。でも、ギャラリーの男性陣が誰もそういうツッコミをしなくて自分の心の狭さを思い知った気分。何て優しい世界なんだ。
浦井トさんの声が結構興味深かった。初めは澄んだ伸びやかな声だったのが、徐々に感情を迸らせたような響きが強くなっていて、ピュア月から畏れを持たず神の領域を侵犯していく月への変化が感じられる。そして何といっても語尾!!!語尾に色々と妄想を掻き立てられる性癖なので、「でも正義も法律も別物でしょ?」と月が教師に尋ねる冒頭のシーン(開始して5分も経っていない)で早々とハートに被弾した。教師相手に「でしょ」って!あの夜神月の語尾が「でしょ」だと……?と一度目ではかなりの驚きもあったけれど、浦井トさんの喋り方が基本的に甘やかなのでその語尾が素晴らしく合っていて、二回目ではこれが聞きたかった!とニヤニヤした。月が基本的に比較的優しい声音だったのは妹・粧裕相手ぐらい?懐柔するためにミサミサには猫撫で声かなーと予想していたら、想定外なほどに早口かつ冷淡さのある声音で、飴と鞭がすごいぞ浦井トさま……と一度目の観劇時は震えた。ミサミサに比較的優しかったのは初対面で「ライトって読むんだ」と伝えたときぐらいなのでは……。天下のトップアイドルに出会って一言目でそれを臆せず言えるのが、さすが女性の扱いに慣れていそうな浦井トさん。対リュークは結構波があって、月の思い通りに事が動いているときは甘やかな一方、それ以外は激昂が多め。赤ん坊相手にしているような「分からないかなぁ?」は最高だったけれどそれ以上に、Lの名前を教えはしないと言うリュークに「何で!」と余裕なく詰問する一言の鋭さがよかった!浦井トさんのあの甘ったるい雰囲気は素の自分を隠すためのコーティングなのか、本来の優しさなのか、新宿覚醒の笑い声を聞いた後ではもはや判別がつかない。二回目に観たとき、あの笑い声って意外と数秒ほどで短めだったんだと気がついたけれど、インパクトが強烈過ぎてぞくぞくする。狂気ってこういうことか。あ、一線を越えた、とすとんと理解できた夜神月in新宿駅
月の行動で気になったのはリュークと初めて会ったシーン。原作の夜神月を知っている分、リュークの登場に驚き慌てる月は年相応の男子高校生に見えた。原作ではすぐに状況を受け入れるからなぁ、あの超人は。おまけにデスミュでは、現れたリュークに一度ノートを返そうと差し出している。その行動によってこの時点ではまだ月の覚悟が固まりきっていないようにも見えて、デスミュと原作の違いに滾った。どちらもよい。原作の達観しきっている夜神月もいいし、世界を変えようと決意しながらもまだ心の奥底ではデスノートの使用を躊躇っている弱さが一瞬見え隠れする浦井トもよい。柿澤月さんはどういう感じなんだろう。リューク登場時にはまだ迷いが垣間見える月が新宿での覚醒以降振り切れて、大黒ふ頭の倉庫で死ぬ直前、銃を撃ったりリュークに縋り付いたり無駄な足掻きを繰り返すのが、死神たちが言っていた「人間」という存在をまさに体現している。足掻きっぷりの無様さに惚れ惚れする。冒頭のピュア月との落差が凄まじくて、浦井トさんに圧倒された。死ぬ間際までキラの行動の正しさを主張する姿が、これでこそ夜神月~~~!!!生よりもキラであり続けることに執着していそうなのが最高オブ最高。

小池徹平さん。L。
小池さんが舞台で大活躍なのは知っていたけれど生で観るのは今回が初!次は『ロッキー・ホラー・ショー』の予定。原作『デスノート』読者の中ではLはやっぱり1,2を争う人気キャラクターだし、松ケンさん演じる映画のLが導き出した解決方法がこれまた至高だったのもあって、デスミュという違う媒体とはいえLを演じるのは大変そうだと観劇前は思っていた。小池徹平さんとLのイメージが結びつかなかくて意外なキャスティングだとさえ感じていた自分だけれど今はもう猛省。小池L素晴らしい~~~!小池徹平さんの作り込みが凄まじい!小池Lの行動の一つ一つにLらしさが凝縮されている。右側に向き直ったかと思えばすぐさま左方向へ歩くところとか、推理に集中し始めると他のことに注意を払えないLらしすぎでは!??それに何と言っても、姿勢が常にL。驚くほどにL。声を張り上げて歌うときでさえ前傾姿勢で猫背っぽさを崩していなくて(ポケットに手を入れているときもあり)、それでいて歌声は高らかってどういうことだってばよ。ポケットに両手を突っ込んだまま段差を無造作に降りる姿もものすごくL。小池徹平さんはキュートな人だと思っていたけれど、小池Lは男性みに溢れていて動揺した。デスミュで最も雄っぽさを感じたのは小池L。それなのにカーテンコールではフードをすっぽり被ったりしちゃってキュートの極みだし、小池徹平さん恐るべし!
Lの最初のソロナンバーの一言目が「怒りとは心を映す鏡」とある通り、小池Lはまあ煽る煽る。相手の怒りを引き出すためだろうと理解はできるけれど、月へはもちろんのこと、月がキラだと疑惑を抱いて以降は総一郎パパへの一言一言がボディブローのように重い。煽り耐性ついていない総一郎パパが気の毒で、気の毒で。総一郎パパのライフはもう0よ!月への「これは貴重な手がかりだ」の言い方が意識的に相手の不安を煽る響きっぽい一方で、総一郎パパへの「あなたの息子さんがさせてるんです」発言はすごく自然にさらりと言っていて、本心からそう思っていそうな恐ろしさがまさにL。そんな小池Lの感情が乱れたのは、拘束されても何も吐かないミサミサに対して死神の存在を尋ねるシーン。ただ、この言い方は日によって調整されているのかも(もちろん私が気づけないだけで他のシーンでも様々な調整が行なわれているだろうけれど)。二回目観たときは「じゃあ死神は!?」とこれまでで一番感情を露わにして詰問していたけれど、一回目ではここまで激しくなかった気がする。頑ななミサミサにLの方が追い詰められている感があるので激昂した言い方の方が好み。
デスミュでの心残りとしては、Lが月に対して何かしら見える形で一矢報いる場面があればなと。Lが最期を迎えた後、生前に仕掛けておいたトリックにより月が追い詰められた結果、リュークデスノートに名前を書かれる的な?月に対して煙に巻くでもなく結構直球で張り合ってきた姿にLの負けず嫌いな性格を垣間見たので、この幕切れは無念だろうと考えてしまう。ただこれは、二人の天才の対決という形を崩さずに幕を下ろした映画版の改変が好きだからこその気持ちかも。デスミュの主題は愚かな人間と無常観を全面に押し出しているので、あまり夜神月vsLという構図になっても話が逸れてしまいそう。人間同士の心理戦なんて無意味で取るに足りないことなんだーーー。小池Lを好きすぎるが故にもっと天才要素を見せつけていただきたい!という気持ちが湧き上がるけれど、こればっかりは仕方ないのか。

唯月ふうかさん。弥海砂ミサミサ
さすが宙を飛んでいたピーター・パン!唯月さんの歌声はいつまででも聴いていたくなる。二度目に観劇したときは少しだけ声が擦れ気味で大丈夫かな?と心配したけれど、後半は全く気にならなくなった。長丁場の舞台は大変そう。原作や映画に比べれば大分コメディ色を薄めて、キラに感謝するあまり妄信して夜神月に全てを捧げる存在となったミサミサ。それでも可愛さは損なわれていなくて、いいでしょ?のポーズ最高。ミサミサだけで5枚組セットのブロマイドとか売り出そう。金髪ツインテールと黒髪ボブ両方で。何十枚CD買ったらチェキ撮れますか。新曲にキラ宛のメッセージを含めるというのが原作でもない発想で(結構あからさまな詞である気もするが)、トップアイドルであることを活かした作戦がデスミュのミサミサらしくてよい。デスミュではどの登場人物にも「らしさ」が詰まっていて、原作リスペクトに溢れている。シリアス要素が多いミサミサ関連でほんわかできたのは、大学構内に来たミサミサが月によって抱え上げられるシーン。両脇に手を添えてひょいと!唯月ふうかさん軽っ!
ミサミサで一番好きなのは拘束シーン。Lに拘束されても、「私の勝ちだよ」と言ってのける姿が本当にたくましい。拘束された状態でのLとの言い合いでは、夜神月=キラによって救われた存在もたしかにいるんだと突きつけられる。そして、ラストに登場した喪服姿(?)のミサミサ。無言のままでその両手からは砂がこぼれ落ちていく。この演出の意図については観客に委ねられていて、そういう余地があるのがたまらなく好き。1.無常観を零れ落ちていく砂で表現?2.ミサミサが生への執着を捨てたことを表現?3.砂になり果てたレムを(その存在さえ忘れたはずの)ミサミサが弔っている?などなど、色々妄想たくましく考え込めて幸せ。ちなみに、2.が自分の中では一番辛い解釈。M-2「哀れな人間」でリュークとレムが「所詮人間なんて指をこぼれる砂をすくい続けて」と歌うように、デスミュ界の普通の人間ならば、こぼれていく砂に何かしらの反応を見せるはず。対してミサミサは微動だにせず、ただただ両手から砂を零し続けていく。これはミサミサが人間としての生への執着をすでに捨てていることを示唆、している?そもそも、ミサミサ生存説自体が危ういところはある。うーん。他の方の解釈が聞きたい!二回目に一緒に観に行った相手は、世界を正そうなんて試み自体が無駄だった……ああ無常……感をあのこぼれ落ちていく砂に込めているのでは?という考えだった。

髙橋果鈴さん。夜神粧裕
デスミュの清涼剤、粧裕。原作での粧裕は正直あまり出番はないキャラクターなので、デスミュで登場すると公式サイトで知ったときは意外だった。実際にデスミュを観てみたら、天真爛漫で兄のことを純粋に尊敬している粧裕の存在によって夜神家の悲劇性が一気に高まっていて、なるほど、粧裕の存在はデスミュをさらに悲劇たらしめるピースとして必要なのだと納得。ラスト、倒れている月の姿を目にしてその場に座り込んでしまうのが痛々しい。
粧裕、バキュンのポーズ可愛すぎませんかね???リュークがうっと胸を押さえて倒れたから、「ハートを盗まれた」ぐらい言うのかと思ったらまさかの「くのいち」発言で思いきり笑った。くのいち、粧裕。惜しむらくは、粧裕と総一郎パパが一切絡まなかったこと!粧裕に甘い総一郎パパのデレデレしたところが見たかった。粧裕は月以外の人物とは一切絡まないので、世界と月を繋ぐ唯一の架け橋のように思えてくる。最初はぴったり寄り添っていたのに、第2部で月の自室を覗き込む粧裕は明らかに怯えて距離を取っていて、彼女の憧れた夜神月が別物に成り代わっていっている恐ろしさが感じられた。

濱田めぐみさん。レム。
初登場時は、一切温度を感じさせない冷徹な雰囲気で言葉も少し拙い。横たわる美しいレムを最前列で凝視したいと何度思ったことか!レムのヴィジュアルを作り上げた美術班の方々はすごい!同じ死神ではあるもののリュークとは異なり、人間の愚かしさを「悲劇」だと言っていたレム。リュークとレムの違いを端的に一言で示したこの歌詞、最高では!??デスミュの歌詞カードはどれだけ読んでいても発見があるから飽きない。ミサミサと出会って以降少しずつ確実に変わっていくレム。ミサミサと初めて言葉を交わしたときの「何てピュアなんだ」では、レムの言葉に初めて温もりが加わったような印象さえ受けたからたまらなく好き。ミサミサに出会って以降は、絶え間ない心配の言葉から母性のような愛情が垣間見えて、ミサミサとレムの関係最高すぎる。この二人だけのときは照明も丸みを帯びたものが多い気がしていて、そういうところでも柔らかさを感じた。終盤の圧巻の歌声には涙が出そうになる。

石井一孝さん。リューク
ゆるキャラじゃないよ、死神だよ。「俺、リューク!」のルフィ感が凄まじい。あの言い方、すごく愛らしくないですか???初めて観たときは、リュークがあざと可愛いぞ!?と思わず動揺した。そんな雰囲気で油断させておいて(意識的ではないだろうけど)、紛うことなく恐ろしい死神だから平伏すしかない。デスノートに触れた人間がリュークの姿を初めて視認する際、必ず仰向けに寝転んだ体勢から起き上がっての挨拶だけど、あれはリュークにとっての儀式なんだろうか。ただ単に、あの動作が好きなだけ?人間めいた行動をすることで人間を皮肉っているのかなとも一瞬思ったけれど、リュークについては考えても考えても謎だらけ。リュークの虚無感たっぷりのセリフには芯から冷えていくような恐ろしさがあって、ラストのあの淡々とした言葉には、「退屈」に辟易しているどころか、憎んでさえいるように感じられた。
デスミュのリューク夜神月を常に観察対象として捉えている感が強い。原作では相棒らしさがあったけれど、デスミュでは一線置いている雰囲気。退屈か面白いかを判断基準にしているリュークにとって、デスノートにまた名前を書き続けるだけの日々に戻ろうとしている月のそばにいることはありえないからこそ最後に下した判断に納得できる。退屈な存在になれば早々に見限るというリュークの行動に納得できるだけの下地が、冒頭からひたすらに積み上げられていた気がする。夜神月とLの凌ぎ合いを傍観していたときがリュークにとっては一番退屈を忘れられた瞬間なんだろう。というか、月劣勢のときの方が楽しそうでさえあった。Lに負けてたまるか!と足掻いている月の行動は、死神が特等席で眺める喜劇として最上だったのか。

別所哲也さん。夜神総一郎
別所さんってもう高校生の息子を持つ父親役をするお年なのか!とまずそこが意外だった。で、次に、初演が鹿賀さんというのは知っていたから、別所さんだと結構違った雰囲気だなとそこでもまた意外。でも実際に観てみたら、別所総一郎パパは原作らしさがありすぎて驚いた!父・息子の距離感よい!入学式の総代を務める息子に対してそれほど賞賛の言葉を送らないのが、原作の総一郎パパっぽさをものすごく感じた。デスミュにおいて総一郎パパは孤立無援の中、Lに反論を繰り返すし、非道な捜査を行なうLを批難もする。デスミュでは総一郎パパの存在によって、夜神月に対抗しているからといって、Lの正義が正しいわけではないと何度も唱えられている。単なる正義と悪の構図じゃなく、異なる正義同士の対立(しかもどちらも咎める存在がいる正義)というのがデスノートの最高なところ……!別所総一郎パパは歌詞を歌い上げるというよりも、感情を吐露するように呟くことが多い印象で、だからこそなおさら迷いが感じられてよかった。


デスミュ二回目観劇後にあまりに滾りすぎて、実家に置いてあるというのに電子書籍デスノートを買っちゃったよ……!スピンオフでヨツバ編やってほしい……と強欲なヲタクとしては思ってしまう。ほのぼのしたものが観たくなる衝動。ヨツバ編(5~7巻)は月とLの共闘で心底面白いので、デスノート未読の方々にも読んでもらいたい。月とLとミサミサで共同生活なんてするんですよ……、三人で手を繋いで輪になって回ったりするんですよ……。
原作未読の人が舞台をきっかけにして原作に触れる。原作読者が興味を持って舞台を観に行く。2.5次元舞台が目指す方向性ってきっとこういう幸福な相乗効果のはずで、デスミュはそれを健全に成し遂げている印象が本当に強い!ホリプロさま最高。デスノートを知らない方々がデスミュを観に行ったり、デスノートでミュージカルって何それ?と原作読者が不思議に思いつつもデスミュを観に行ったり。興味を持たせて劇場に足を運ばせるって容易じゃないだろうけれど、デスミュは再演まで成功しているコンテンツなんですよね、すごいなぁ。演技や楽曲や熱量、デスミュの訴求力は凄まじい!今はひたすら、WOWOW放送日の発表を心待ちにしている!